情報の森

見方をかえてみる 世界をかえてみる

知の鮮度

綿密に定義せずに話を進めることをお許しください。

この世に不滅なもの、完璧なものはありません。(不完全性原理、縁起説)

なので、信じれば救われる、間違いなく正しいと断言できるようなものは存在していないのです。

にもかかわらず私たちは人間社会を営むわけですから、できるだけ多数の人間が納得できる結論を求めていくわけです。

話し合いにより、「こういう場合はこうしよう」といったようなルールを決めます。

話し合い自体のルールは、話し合いが行われる集団によって異なるのですが、一つどんな話し合いにおいても重要なことがあります。

それは、知の鮮度です。

知の鮮度が高いというのは、情報が、その場で生み出されていて、さらにその場で参加者が確認もしくは確信可能な状態であることを言います。

 

例えば、二人の子供が喧嘩をしていて、先生が話を聞いているとします。

女の子は「男の子が私に嘘をついたの!」といっていて、男の子はそのことを否定しています。

先生が二人に詳しくなかった場合、どちらが正しいのか判断できません。

もし、普段真面目な生徒であった場合、男の子を信じるでしょう。

しかし、男の子が前日に「数学のテスト100点だった」と嘘をついていた場合、先生は女の子を信じるでしょう。

これは、前日の嘘をついたという情報は先生の記憶に新しく(鮮度が高く)、普段真面目という情報よりも判断材料としての価値が高かったためと考えられます。

 

他に、数学などはその場で証明できるので、受け取る人間が理解できるならばとても鮮度が高い情報といえます。

 

具体例、例え話や比喩が説得に有効なのも、鮮度の高さで説明可能です。

 

以上から、話し合いにおいて重要なことは、その場で鮮度の高い情報を生み出すことが可能な推理力、思考力であると思うのです。

ですから、知識を得る際は、事実・結果だけでなく、知の構造、論理の道筋を理解することが重要だと思うのです。