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性格は虚構

人の感情や考え、思想というものに絶対不変のものはない。

性格というものは私たちが日常生活を営む上で便宜上決めたもので、存在しない。

人間の脳はエネルギーの浪費を防ぐため基本怠惰であり、に出会う事柄に対して瞬時にタグ付けし、それ以降の判断はそのタグを見て行う。

ファーストインプレッションの重要性が説かれるのはこのためだ。

性格というのは、このタグ付けの一種で、実際には存在しない。

「昨日悪行をしたから、あいつは悪い奴だ。」「この前善行をしたかあら、あの人は善人だ。」といったところで、昨日この前のあいつ、あの人は悪人善人だったかもしれないが、今日そうであるとは限らない。

だが人の脳はその怠惰さ故、一度悪い人と思った人はよほどのことがない限り悪い人だし、良い人は良い人である。

もちろん、じゃあ悪行をした人と善行をした人を同列に扱うべきかというとそういうわけではない。

人が行う行為は、その人が属する環境の構造の問題なのだ。

人の行動は属する環境によって規定される。

常識があれば常識に従い、競争社会に生まれれば競争し、友が恋愛すれば恋愛するし、親が夜更かしすれば夜更かしする。

そして人の属する環境は簡単には変わらない。

だから、悪行したものはまた悪行する可能性が高いし、善行も同じである。

しかし、ここで重要なのは、人の行為発言は環境によるものであり、性格などという要素によるものではない。

この命題が真であるとするならば、この世に意味のある怨念、復讐は存在しないということになる。

また、自分はできない人間だという考えも正確ではないということになる。

人は自分で環境を変えれば、何にでもなれるのである。

 

この世には絶対真理が存在しない。

故に情報過多な世界と対峙するために、人の脳が手に入れた怠惰という能力は、ひらめきや推測といったコンピュータには真似できない芸当を可能にした。

だが、その弊害として、思い込みや偏見、狂信などの問題も発生している。

絶対真理が存在しないことを確信し、思考を怠らないことが大切だろう。