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言葉の役割

 

言葉あるから知覚可能?

“言葉を持っているからこそ、世界を見渡した際にその言葉に対応したモノを知覚することができる”については、言語を持たない人類を考えた際に、矛盾に気がつく。
古代文明や未開文明などの言語を持たない文明に生まれた人々は、言葉を持っていないが、世界を知覚し、必要に際して言語のようなものを開発していくだろう。
現代の人類も、新しい概念に出会った際に、その概念に名前をつけようとする。
例えば電話や放送などといった言葉は、近現代に発明されたものだ。
そして電話などのものは、言葉が先にあることで可視化されたのではなく、今までにない人間にとっての機能を備えたものが、言葉よりも先に存在していたことは想像に難くないだろう。
商標登録をする時や、子供に名前をつける時なども、ものが言葉に先立つ例だと言える。
また、ボディーランゲージやジェスチャーを考えることでも、言葉の先験性を疑うことができる。
使用言語の異なる人物がいて、目の前にある謎の物体を指差して「もごもが」と言ったとすると、私たちは、その人物がその物体を「もごもが」と呼んでいると推測できる。赤子はこのようにして言語を習得していくように思われる。赤子の場合を考えると、「もごもが」と呼ばれる物体の名前を知る前に、その物を知覚していないと、名前と物を結びつけることができないように思う。

 

モノより先にコトバがある?

“言語によってモノの捉え方が違う以上、モノが先にあり、それに名前をつけるという考え方は間違っている”
もし、厳密に著者の議論を遂行するならば、つまり、この世界に言語が先に存在すると考えるのならば、この世界には言語が一つしか存在してはいけないことになってしまうだろう。なぜならば、現在人類は無限に言語を生成することが可能だからだ。現在も数学や計算機科学の分野では、新しい言語や記号が生み出され続けている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%B9%B4%E8%A1%A8
しかし、言語はすでに世界中溢れており、とても一つではない。


人間は意思疎通の際に言葉を用いる生き物である。


人間は意思疎通の際に言葉を用いる生き物である。

これは、意思疎通する者が用いる言語体系がある程度共通していることを前提とする。
つまり、言葉と世界との対応がある程度共通していることを前提とする。
そして、この対応度の強弱は、人によって異なるだろう。
動物が好きな人は動物分野の対応度が高く、車が好きな人は車分野の対応度が高く、日本語が好き(日本出身)の人は日本語での対応度が高く、数学が好きな人は数学記号の対応度が高いと考えられる。
つまり、言語体系、つまり言語対応度の強弱が類似している人同士では、コミュニケーションが円滑になることは、予想できる。
英語話者同士、日本語話者同士は言うまでもなく、専門家同士や、愛好家同士のコミュニケーションが、不特定の人同士のコミュニケーションよりも円滑であろうことは言うまでもないだろう。
以上より私は、言語と世界の対応度の違いに応じて、他者と言葉によってある程度経験を共有できると主張する。

 

(蛇足)蝶と蛾について


英語ではこの二つは区別されており、それぞれbutterflyとmothと呼ばれてるようだ。しかし、同じくラテン系の言語であるフランス語では蝶と蛾の区別は単語レベルで行われておらず、朝の蝶、夜の蝶のように区別されているようだ。これは英語において兄と弟に該当する単語がないことと似ている。(an older brother ,a younger brother)
参考文献
https://www.loc.gov/everyday-mysteries/zoology/item/how-can-you-tell-the-difference-between-a-butterfly-and-a-moth/