情報の森

見方をかえてみる 世界をかえてみる

シュメール人

現代のイラク南部、ユーフラテス川とティグリス川に挟まれた地域は「メソポタミア」と呼ばれる。
このメソポタミアの南部はバビロニアと呼ばれ、バビロニアのうち古代都市ニップル近辺よりも北側をアッカド、南側をシュメールと呼ぶ。
前5500年~前3500年のウバイド期の中頃からシュメール地方では灌漑農業が本格化し、続くウルク期(前3500年~前3100年)には都市文明が発達した。この都市文明を担った人々をシュメール人と呼ぶ。
彼らはシュメール語(系統不明)を話し、楔形文字を発明して、アッカド人とともにメソポタミア文明の基礎を作り上げた。
前2900年~前2350年(初期王朝時代)にはキシュ、ニップル、アダブ、シュルッパク、ウンマ、ラガシュ、ウルク、ウルのような最初の都市国家を形成。
前3000年紀後半、アッカド帝国による征服を経て、前2112年ごろにはウル第3王朝が成立した。このころから、口語シュメール語は次第に使用されなくなり、アッカド語セム系)などが優勢となっていった。
一般的にはウル第3王朝が滅亡した前3000年紀末ごろまでがシュメール人の時代とされている。
前2000年紀には口語シュメール語は完全に死語となったが、文語シュメール語はメソポタミア文明の終焉まで継承され続けた。
社会思想
シュメールにおいて女性は他の文明よりも高い地位を達成したが、文化は主として男性により支配され続けた。「シュメール人は、個人の人生においてやや厳しい展望を持っていた」(史家アラン・I・マーカス)。
「私は、涙、悲嘆、激痛、憂鬱とともにある。苦痛が私を圧倒する。邪悪な運命が私を捕らえ、私の人生を取り払う。悪性の病気が私を侵す」(某シュメール人)「なぜ、私が無作法な者として数えられるのか?食べ物はすべてあるのに、私の食べ物は飢餓だ。分け前が割り当てられた日に、私に割り当てられた分け前が損失をこうむったのだ」(某シュメール人
天文学
シュメール人は、宇宙がスズ製のドームに囲まれた平らな円盤から構成されると信じていた。
シュメール人の「来世」は、悲惨な生活で永遠に過ごすためのひどい地獄へ降下することを含んでいた。
数学
紀元前3000年ごろには、度量衡などに関する記録がある。紀元前2000年ごろに「1」と「10」を表す記号によって六十進法が整理され、天文学の分野が発展した。分数や小数の概念も存在し、徴税や配分などの管理、農業における耕地面積の計算、建築などに用いられた。
医術
下剤や利尿剤は、シュメール人の薬の大多数を占めた。
シュメール人は、尿・酸化カルシウム・灰・塩から硝石を生産した。彼らは、ミルク・ヘビの皮・カメの甲羅・カシア桂皮・ギンバイカ・タイム・ヤナギ・イチジク・洋ナシ・モミ・ナツメヤシなどを組み合わせた。彼らは、これらとワインを混ぜ合わせて、その生成物を軟膏として塗った。あるいはビールと混ぜ合わせて、口から服用した。
シュメール人は、病気を魔物の征服とし、体内に罠を仕掛けられるようになると説明した。薬は、身体内に継続的に住むことが不快であることを、魔物に納得させることを目標とした。彼らはしばしば病人のそばに子羊を置き、そこに魔物を誘い込んで屠殺することを期待した。利用可能な子羊でうまくいかなかったときは、彫像を使ったかもしれない。万一、魔物が彫像へ入り込めば、彼らは像を瀝青で覆うこともした。