情報の森

見方をかえてみる 世界をかえてみる

グローバルコネクション時代の疲れない志

消費者たちが気づいていない価値を作り出していく

時間をかけて消費者の側を作り変えていく

短期的に消費者の声を無視する

消費者の反応が見えすぎないことが大事

人の目から自由になれるような場所・期間を自分の中にどうやってつくりだすか

情報をいかに適切に無視するかという能力

 

幼児教育は現在経験ベースで行われている

KPIを無視する力

 

自分から宇宙へつながる連想ゲーム

アイデアの種

仮想キャラの命日を決めて、現実アイドルのような儚さを演出

 

自分の価値基準を遡り、権力が源流にいる場合はかなりまずい
 
好物は鉛筆
今から中学受験の感じで
今、小学生で、可能性に開かれてる感覚で世界に触れる

 
○○さん、あのとき●を救ってくれて本当にありがとう
忘れたってことは許したってことさ
 
二人なら...
プロスリ師サトルは、コンビでスリを行っていた。
相方の名前はユキ。
どんなに重厚な守りでも、二人に盗めないものはなかった。
そんな二人の孤児は、社会からは虐げられながらも、本当に幸福な生活を送っていた。
しかし、あることをきっかけにユキが行方をくらます。
サトルはすべてを投げ出して、ユキを探す。
どんなに厳しい局面でも、くじけることはない。
二人なら...

ユキの親は超裕福。

ネット活動者

どこがいいと思ったか
どこにお金を払いたいと思ったか
他と何が違うか



釈迦
長時間ゆえの切り抜き数
低くて聞きたくなる声
社会から離れ、責任などを感じさせない、少年のような価値観
庶民的な価値観なのに、裕福なので、多くのものに嫉妬を感じさせる
ゲーマーが一度はあこがれる生活をしている
人脈
有名な固有名詞の名前

蛇足
低い声
有名な慣用句由来の名前
人脈
古参で、有名な名前
常に緩和。故に低い時のギャップがない。

加藤純一
長時間に緊張状態を維持
でも、悪い空気にならない


gero

ふぉい

想いに随う

とまらずに、削除も訂正もなしで、文章を書きつずってみることにしたつづるだった間違えた。かいたもの、自分の書いたものをけさずにすべて残しておくということは、すべての記述に対して責任を持つということで、そういう点で、価値がある行いだとも思う。普段、何げなく行われる思考というのは、そういった勝手に出てしまう表現や言葉遣いに現れると思う。人の脳の働きは、無意識が過半数を占めるということを聞いたことがあり、実際自分でも実感することがよくある。自転車に乗れなかった人間が、練習していくうちに乗れるのは、無意識の学習、があったからこそであると思うのである。そんな人間において、思考といいう作業は、無意識が最もよく介入する場所だと思っている。ゆえにじぶんからぱっと出た言葉を、記録、録音することは、とても価値のあることであると思うのだ。また、いちどきりのアウトプットに記録されるという責任を持つことは、利点のほうが大きいと考えて、現在に至る。僕が今考えたいことは、編集することについてである。人は、作品を作るときに、もっと広義に表現すると、自分を表現するときに、多かれ少なかれ自分の表現物を編集する。会話の時に、自分の気持ちを純度100パーセントで表現する人はまれであろう。もっというと、自分の気持ちを言語という媒体にみんな編集して、他者に伝えているので、自分以外の生命体と交信するときに、人間は皆編集をしてるといえるだろう。そんな編集する生き物人間において、編集の過多というのは、どの程度であるべきだろうか。個人的に、過度に編集されたものというのは、その人の表現でないように思ってしまう。このままだと納得してもらえないかもしれない。例えば、ラッパーや、シンガーソングライターが、自分の境遇と全く関係のない歌を、歌詞をうたっても、聞く人には響かないはずだ。歌う人物の境遇にあっていて、つまり、編集がされすぎていなくて、発信者に近い表現であるから、聞く人の心が動かされるのだと思うのだ。そういう意味で、編集は過度ではいけない。逆に、編集が少なすぎるのもよくない。なぜなら、幼稚な表現になってしまうからだ。よく吟味されていない表現などは幼稚に聞こえる。赤子の産声はもちろん幼稚に聞こえる。また、欲望をむき出しにした表現なども幼稚に聞こえる。この今書いている文章なども、幼稚に見える人が多いだろう。一発書きの編成なしだから。以上の理由より、編集は多すぎても少なすぎてもいけないと思う。初回だからこのぐらいで終わり。

永劫の三歳児

三歳児には、今しかない。

顧みるほどの過去もなく、杞憂するほどの未来もない。

今という時間しかない。

だから、限りなく濃い今を三歳児は経験していく。

ある程度以上この世界を経験した人間には、過去も未来もある。

そうして利口になってしまった人間は、今以外を考える。

どんどん今が希薄になっていく。

過去の後悔と未来への保険で現在を消費していく。

責任感と承認欲で自分を拘束していく。

辻褄は必要なのか。

整合性がとれていないといけないのか。

自分につけられたタグは本当に自分にとって重要なのか。

今を犠牲にしてまで得るほどのものなのか。

明らかにあるのは今だけなのに。

成熟するとは、そういうことなのか。

今を薄めていくのが成長なのか。

教わるものではないのかもしれない。

今を生きる自分にとっては。