三歳児には、今しかない。
顧みるほどの過去もなく、杞憂するほどの未来もない。
今という時間しかない。
だから、限りなく濃い今を三歳児は経験していく。
ある程度以上この世界を経験した人間には、過去も未来もある。
そうして利口になってしまった人間は、今以外を考える。
どんどん今が希薄になっていく。
過去の後悔と未来への保険で現在を消費していく。
責任感と承認欲で自分を拘束していく。
辻褄は必要なのか。
整合性がとれていないといけないのか。
自分につけられたタグは本当に自分にとって重要なのか。
今を犠牲にしてまで得るほどのものなのか。
明らかにあるのは今だけなのに。
成熟するとは、そういうことなのか。
今を薄めていくのが成長なのか。
教わるものではないのかもしれない。
今を生きる自分にとっては。