他人から自分に関することを聞かれた時、説明するのが億劫になる。
こちらから見えている状況を根本から説明しようとすると、それは長い時間を要するからだ。
一人の人間を納得できるまで説明するというのは、短い時間でできることではない。
まして自分を説明するとなると、悠久の時を必要とするだろう。
そして、人は他人に対してさほど興味はない。
昼飯や晩飯への興味と変わらない。
そんな人々が悠久の時間に耐えられるだろうか。
否。
つまるところ我々は、互いに対して、満足いく説明なしに、曖昧なままで生きていくことになる。
そもそも人が生きる宇宙とはそういうものなのだ。
全てのものが不確定で曖昧。
自分でさえも。
じゃあ、自分を語るなんて言って、極度に緊張する必要はないのだ。
もちろん、そんなポーズはとってもいいけれど。
もともと不完全で不確定な世界に生きているんだ。
どうせなら面白い方がいいじゃない。
そして、意味がなかったとしても、説明した方がいいじゃない。
届けようとするだけでいいじゃない。