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ゲームという思考実験

皆さんは、普段思考実験をしているでしょうか。

私は、思考実験こそが人間の人生を豊かにする活動であると思っている人間なのですが、放っておいて思考実験を勝手にできる人間はなかなかいません。

ですが、世の中には思考実験の練習ツールがたくさんあります。

ルールさえあればどんなものでも思考実験となります。

スポーツ、料理、パズル、ゲーム、お金稼ぎ、試験、妄想、裁判、人間関係、数学、など、挙げればきりがないほど思考実験の場はたくさんあります。

その中で、私はゲームを思考実験の場として多くの人におすすめしています。

理由は複数あるのですが、一番の理由は、私自身が好きであるということです。

他にも理由があるので、本記事では紹介していきますが、私が好きであることで、説得力をもって他人に進められると思っています。

 

ゲームの定義

私のゲームの定義は簡単です。

・破ることができないか、破るとペナルティを課される成文化されたルールがある

・行動の評価は、機械によって客観的に行われる

この二つです。

 

現代スポーツは、審判が人間なので、ゲームではありません。

パズルは、コンピュータ上のものはゲームと言えるでしょう。

小説は、ルールがないのでゲームではありません。

 

 

 

ゲームが思考実験に適している理由

現実の役に立たない

これはとても大事なことです。

なぜならば、利益を重視していては、一生他人の奴隷のままだからです。

利益とは、誰かが決めたものです。

お金でも、地位でも、名誉でも、自分で決めたものならばまだしも、ほとんどは他人が設定したものでしょう。

そういったものを目標にしている限りは、あなたは一生誰かの奴隷です。

ゲームは、作った人の世界の中だけで意味があります。

自分で作ったゲームの中なら、自分が世界を決めます。

そのゲームの中で、あなたが奴隷になることはないでしょう。

種類が多い

ゲームの定義からして、この世の中に存在するものは、すべてゲームとして作ることができます。

自分で作ることができる

ここが重要だと思っています。

コンピュータを持つ人ならば誰もが自分でゲームを作ることができるのです。

自分で作ったゲームの支配者は自分です。

その中では、あなたは本当の自由を手にすることができるのです。

寂しければ、友達をよんで一緒にゲームをすればいいでしょう。

友達が楽しいゲームを作れば、あなたが遊びに行けばいいでしょう。

そのゲームの中であなたは支配者でなく、完全に自由ではないかもしれませんが、それは奴隷ではないのです。

自分で選んでルールに縛られるのは、奴隷ではなく、遊びでしょう。

サッカーなどのスポーツで手を使うのを禁止にするのと同じことです。

不自由が楽しさを生むのですから、それは奴隷ではないのです。

証拠に、サッカーで手を使っても、注意されるだけで、あなたの人生への影響は皆無です。

これは遊びだからです。

このように、自分で作るのことのできるゲームを手にしたあなたは、本当の意味での自由を手にして、世界を楽しむことができるのです。