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論理的思考と歴史的思考

現在、人間の哲学的、学問的領域は多岐にわたっている。

正しい選択を行う民主主義社会を実現するためには、できるだけ多くの人が正しい思考方法と、社会的倫理を身につけておく必要がある。

しかし、人にはそれぞれさまざまな興味があり、多くの人に確かな知恵を届けるためには、多くの人が理解可能な説明様式を必要とする。

そんな説明様式としてこの記事では論理的思考と歴史的思考を説明する。

日本語の長所でもあり短所でもある音訓読みは、学問の敷居を下げることに役立つこともあるが、すでに知っている概念を再考するとき、つまり過去の批評をすることにあまり適していないといえる。造語のしづらさによって妨げられているように思う。そのことを念頭におき、あらためてまずは論理的思考について考える。

 

論理的思考

まず、多くの人は権威的思考に慣れているということを指摘しておく。

権威的思考とはつまり、”あの人が言っているから大丈夫だろう”

”あの本に書いてあるから真実であろう”

というものだ。

この思考の良くない点は少なくとも三つある。

一つ目は、自分で思考をしていないところにある。

些細なことでも思考を他人に任せるということは、他人に人生の選択をゆだねるということであり、誤解を恐れずにいうならばこれは奴隷の思考と呼ぶ物であろう。

二つ目に、新しい発想をつぶすことになるという点だ。

権威づけられていない人の考えた素晴らしい発想も、権威的思考をしている人にとっては、注目する必要のないものとなり、悪ければ権威に反する異端とみなされてしまうだろう。スコラ哲学を見ても明らかであろう。

三つ目に、この思考を良しとしてしまうと、人を説得するために最も効率的なことは、権力を握ることだという結論になってしまう。

これは、もともと最適な解を目指すはずの思考法において、思考自体が軽視されており、この思考をしていないものにとっても悪影響をおよぼすものであるといえるだろう。

 

そして、この権威的思考から脱するために良い方法としては、論理的思考法がある。

論理的思考法の始め方は非常に簡単だ。

何に対してもいいので、”なぜ?”と自分が納得できるまで、権威が理由でなくなるまで問うてみるといいのだ。

例えば、なぜ空は青いのか。

なぜ人は生きるのか。

なぜ地球は丸いのか。

何度も自分に問いかけてみる。

答えにたどりつこうとしてみる。

答えにたどり着けなかったとしても、現時点での自分の思考の限界を知ることができる。

その自分の論理の幅を大事に抱えて生きることが、民主主義において、協調社会においてとても重要となってくるのである。

 

歴史的思考

次に、歴史的思考について述べる。

この思考は、統計的な考え方をして、答えにたどり着く。

例えば、昨日もおとといも太陽が空にあったから、明日も太陽が空に違いない。というものだ。

この思考法は、何度も繰り返し起こっていることは、今後も起こり続けるに違いないということだ。

この思考法は、短時間で強力な説得力をもち、権威的ではないため有効だが、かなりの注意が必要である。

なぜなら、この思考法は、常に権威的になる危険性を秘めているからだ。

実際、長い間地球を中心に太陽が回っていると考えられてきた。

肌の白い人種だけが人間だと考えられてきた。

これらも歴史的思考だ。

歴史的思考はみなさんも日常でよく用いている。

店やアプリを選ぶ際、ほかの人の評価や口コミをみて、利用するかどうかを決める。

何度か正しいことを言った人の発言を、次も正しいだろうと判断する。

これはここで歴史的思考と呼ぶものだ。

しかし、常に権威的思考へと変わる可能性を考慮しながら、用いる必要があることは、いうまでもない。