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トイレの歴史

日本のトイレ

縄文時代

日本のトイレの起源は縄文時代へと遡る。
せり出した桟橋で川に流すというもの。

3世紀~4世紀
屋内に川の水を導水したもの。

平安時代
貴族は漆器製の「樋殿」「樋箱」と呼ばれる携帯型トイレを携行。上に丸い棒のついた板に衣服の裾をかけて用を足す。

鎌倉時代
二毛作が幕府に奨励され、堆肥としての利用が始まる。
「閑所」汲み取り式のトイレが普及。

江戸時代
人の排泄物はほぼ堆肥として利用される。
農家ら野菜などと排泄物を交換する。
専門の人間が商売を始める。
こうした手法から、江戸は都市部においても清潔に保たれるようになる。 

堆肥としての利用は明治時代まで続く。

大正時代
安価な化学肥料が普及し、堆肥としての利用が減少。

戦後
衛生上、堆肥としての利用が禁止。
山間部や海への廃棄が問題となる。

昭和30年ごろ
水洗トイレが登場。
徐々に一般家庭へと普及。

現代
多くの公衆トイレは基本的に無料で使える(ヨーロッパでは有料が多い)。

ギターアンプの選び方

「アンプ」は「amplifier(アンプリフィアー。増幅器)」の略称。

ギターアンプ」:非常に小さなエレキギターの信号を、ライブハウスに響き渡らせるほどでっかく増幅するマシン。

ギターアンプはさまざまなつまみで積極的に音を加工して個性的なサウンドを作り上げます。

 

ギターアンプは、プリアンプ部、パワーアンプ部、そしてスピーカー部で成り立っています。プリアンプ部は電気信号をほどよく増幅し音質やバランスなどを調整、パワーアンプ部はその電気信号をさらに大きく増幅します。そして、スピーカー部は実際に音を出す部分です。

また、増幅の回路には真空管トランジスタが使われますが、それぞれの音に特徴があります。ギターアンプは音の出口であり、エレキギターに付属する楽器の一部分とも考えられ非常に重要な機材です。

 

●サイズと出力

ワット数とアンプのサイズと音量は比例する。

・自宅で練習用には小型の20W以下

・少ホールライブやスタジオ練習用には30W~50W

・本格的なステージライブや屋外では100W以上

 

●種類

「ヘッドホンアンプ・ミニタイプ」

「コンボタイプ」

「セパレートタイプ」

モデリング(デジタル)アンプ」

脳科学における事実

心というものは現象であり、存在していない。

私たちが便宜的に心と言っているものは、脳の情報処理の状態のこと。

 

自我

人間の自我は、過去の記憶によって成り立っている。

 

イヤな気持ち

情動を伴う体験をした場合、脳は生命のリスクがあると感じ、次は絶対に避けるために強烈に記憶に残そうとする。

 

イヤな気持ちの反芻

原因は記憶そのものではなく、記憶の出し入れのされ方。

海馬と偏桃体の連携により、前頭前野に認識のパターンが作られることが原因。

 

海馬【大脳辺縁系

短期記憶の貯蔵庫

側頭葉から長期記憶の出し入れをする関所

 

偏桃体【大脳辺縁系

海馬を出入りする記憶の増幅

 

側頭葉

前頭前野

 

ヒトの五感は特定の領域で処理されるが、途中の経路で混合されることがある

強制混合もできる

 

甘いにおいをかぐと、満腹になった気がする

 

ほとんどの人類が見ている現実は隠された現実で、RはRでない。Rゆらぎ。

では、Rをみれるのはどんなひとか?さとっているひと。

すべての知識を使わずに、ものを見る。

知識を使ってモノを見ると、そのときRはゆらいでいる

P、、Rでない世界。前頭前野によるもの。

Pにもリアリティをかんじられる。

しかし、このとき、Rをうしなうことはない。

呼吸は続いている。

Rを失っている状態は、あの世。

ヒトはつねにRがゆらいでいる、催眠状態に存在する。

変性意識状態は特別な状態でなく、我々は常にこの状況にいる。

 

一番最初にできることは、本物のRを探すこと。

Rを探す方法論は、止観。

 

今目の前の現実は、作られたR

【読書レビュー】もっとも美しい数学 ゲーム理論【トム・ジーグフリード】

現実の現象や事象を抽象化して、一般化して、定式化するためには、「この現象は一般化できるはずだ!」という強い、思い込みともいえる、信念が必要となる。

人の脳は、RASという機能で、自分に都合の良い情報だけを取捨選択して認知するようになっているため、一般化できると信じている人間には一般化できそうな情報だけが舞い込み、できないと思っている人間には、どう考えてもできないように思われるのは当然の摂理である。

神という究極の一般化事象を持つ、一神教信者たちのなかに、偉大な科学者が多いことにもうなずける。

この本を読むには、「世の中の事象はすべて一般化できるだろう」と思っていることが前提になるようだ。

 

この本の中では、数々の、現実社会を定式化する方法が、順序だてて、比喩とともに記述されている。

個人的に興味深かったのは、

・人間社会の動きを、熱力学的な動きをモデルとして考えるという方法

・神経経済学において、脳にとっての通貨はドーパミンであるという比喩

ドーパミンは、将来見込まれる見返りに応じて作られるという事実

 

詳細は、是非読んでみてほしい。

 

 

また、確率分布や統計の重要性を自分で実感するための実験結果と論理が用意されている。

なぜそれらの統計的な分析が適応するに値するのか。

数々の歴史上の思想家たちが、統計的手法の利用を選択するまでの道のりが、示されている。

是非、統計分野を学習する前に理解しておきたい内容である。

数式へと至るまでの考え方を記した書籍として、非常に読む価値のある一冊である。

 

モジュール(英: module)とは、工学などにおける設計上の概念で、システムを構成する要素となるもの。機能単位、交換可能な構成部分。

”寂しさ”の正体~意識における自己意識の機能~

人は自分が世界にいると思ったとき、「寂しさ」を感じる。

あなたが部屋に一人でいるとき、自分を意識しなければ、自己意識が働かなければ、ただあなたの目の前には部屋があるだけである。

しかしひとたび自分の存在を意識してしまうと、自己意識が働いてしまうと、あなたの脳は他人に対して行うように、自分という対象に何らかのタグ付けをしてしまうだろう。

もしも孤独というタグを貼り付けたのならば、自分に対して寂しそうだと思ったり、そうでなければ孤独でないように見える他人が自分よりもあるカテゴリーで上に位置すると考え、自分の評価を不用意に下げるということになるだろう。

つまり、寂しさの原因は自己意識にあるようだ。

 

広くて何もない部屋の映像を見ても、ただ「部屋がある」と思うだけかもしれないが、その部屋に一人の人間が映りこんだ時には、わたしたちは「寂しそうだ」とか思ってしまう傾向にあるのではないか。

 

ひとりで広くて暗い部屋にいると、孤独感や寂しさ、心細さを感じる人間も、ゲーム内でダンジョンを探索しているときには何とも思わないのではないか。

 

ここまで考えると、寂しさの感情を呼び覚まさないためには、自己意識をなくす、あるいは薄くすればいいことがわかる。

ただ、この世界を観察するものであればいいのだ。

操作するものであればいいのだ。

楽しむものであればいいのだ。

 

現代は、多くの人がインターネットで発信や活動できるため、自分を見つめたり、自分という存在を意識したりする機会がいたるところに存在している。

 

はたしてそれは功なのか。あるいは罪なのか。

【読書レビュー】倍音 音・ことば・身体の文化誌【中村 明一】

音楽研究者で尺八奏者の作者による音響における倍音の入門書。
非常に丁寧で明快な表現と様々な解析資料を用いて、この世界にあふれる音(音楽以外の例えば会話なども含む)の分析方法を示している。
西欧式の、音階の音を単位とした旋律と和音から構成される離散的な音楽からさらに広い世界へと進みたい人へお勧めする。
音楽の無限の可能性を見出すことができるだろう。

【読書レビュー】審判【フランツ・カフカ】

途中でやめてしまった。
今の僕には少し退屈だったようだ。
演劇のようなセリフは、ポエムとしては楽しめたが、作品に没入することができなかった。
機会があれば最後まで読んでみる。

もしこの作品を好きな方がいれば、是非魅力を語って聞かせてほしい。