世の中には様々なシステムが、言語として作られている。
このような人間がすごい。
このような人間が偉い。
このような人間になるべきだ。
これらは言語で作られていて、人はこれらのシステムを言語により学ぶ。
しかし、このように思ったことはないだろうか。
こんなシステムは嫌だ。
もっと違うシステムはないだろうか。
そのように考える人々のために、この稿ではシステムの外側へと行く方法を伝授する。
疑問をもつ
まず、疑問を持つことで、一つ上の次元から現状を考える。
次元が上がると、複雑だった物事を体系的に見ることができる。
まず、なぜ苦しいのか。
それは、現実の世界で何か自分に都合がよくないことがおきているから。
では、なぜ、現実は存在するのか。
実は、現実は存在していない。
というよりは、存在しているともしていないともいえる。
蕾を分解しても花は見えないように、人の脳を分解しても心は見えない。
この世界は空である。
存在しているともしていないとも言える。
物理空間の刺激は情報であり、脳内の思考も情報なので、臨場感、つまりホメオスタシスのフィードバック強度の差でしかなく、臨場感空間がその人にとっての宇宙となる。
そして、その臨場感空間のRASや思考方法などをまとめてシステムと呼ぶと、この世界はシステム同士のなわばり争いであり、より強固なシステムを作った者がこのナワバリ争いで有利と言える。
この主観はシステムであり、個人ではない。
システムは一般に哲学や思想、宗教と呼ばれる。
人生で重要なものを決める関数である自我のことと考えても良い。
現在人類の中で優勢なシステムは、資本主義利己的利益教、過去重視型差別思想、などであるが、更に強いシステムを作り、啓蒙、つまり広げることができれば、塗り替えられるかもしれない。
基本、システム作りは言語と気によって行われる。
しかし、これらもシステムの内側にあり、メタシステム的なものではない。
この、空システム論もメタシステムでありながら、システムに内包されている。
変性意識を使いこなす
アンカーを自分で自在に操作することが目標である。
そのために、二つのことが必要で、その二つとは、
・現実空間の臨場感を減らすための脱力
・情報空間の臨場感を高めるための瞑想
である。
この二つを行い、情報空間に潜むアンカーを、臨場感高く自分で操作できるようになることが目標である。
現実は劇場にする
アンカーを自分で操作できるようになると、現実は自由度の低い除法空間の一部となり、いささか退屈かもしれない。
そんな場合は、現実を、ルールの中で役割を果たすゲーム、あるいは自分に任された役割を演じる劇場と考える。
現実は役割を果たすための劇場なのである。
好きなことだけをすると決める
この世界で苦しまずに、周りの環境に振り回されずに生きるために推奨される行動は次の二つ。
・見返りがなくてもやりたいぐらい楽しいこと。
・全人類、全宇宙のために行うこと。
特に前者は、過去の価値観から抜け出して、システムの外側を行くために非常に効果的である。
解像度と臨場感の高い大量の情報体、大周天の前にはどんな権力も本能も煩悩も叶うことがない。
そんな自分だけの大周天を生み出すために、好きなことだけをする。