サブタイトルは、「ピグマリオン世界観と自我の不連続性から考える、生き方」です。
聞きなれない言葉も多いと思いますが、全て解説していくため、ご安心ください。
- ピグマリオン世界観とは
- 自我の不連続性とは
- 日本の社会構造で見えてくる、匿名SNSとの不適合
- 匿名メディアをできるだけ避け、世界はすばらしいと思いながら、自分に正直に、見返りを求めずにやりたいことだけをして生きる。
ピグマリオン世界観とは
他の記事でも説明していますが、簡単に言うと、
「あなたの世界は、あなたが思っているとおりになる」
という世界観です。
名前は心理学のピグマリオン効果から拝借していて、私の造語です。
ピグマリオン効果とは、目の前の人は、あなたが思っている通りの人間になるというものです。
あなたが、目の前の人をずるい人間だと思っていると、もともとそうでなくても、その人はずるい行動をする傾向が強くなり、あなたもそのずるい行動を見つけやすくなります。
これは、RASという人間の認知機能の限界と、看守と囚人の実験などからわかる集団暗示現象などが複合して起こる現象だと考えられます。
ともかく、ピグマリオン世界観とは、すべてのものや人に対して、ピグマリオン効果が適応できるという仮定から導かれる世界観のことです。
自我の不連続性とは
人の細胞は、約一日ごとに細胞分裂をすることにより、生まれ変わるといまれています。
食事の質や量などを考慮したとしても、少なくとも一週間もたてば、どんな人間でも全身が別人に生まれ変わっています。
このことから考えると、後悔や、自分に対する責任の追及などは意味がないことがわかります。
他人も別人になっているわけですから、他人を批判したりすることにもあまり意味がないといえるかもしれません。
しかし、わたしたちは、人が連続した存在だと考えています。
昔話をしたり、他人の過去の失敗を追及したりすることからもわかりますね。
このような勘違いは、記憶という情報が連続していることによって起こります。
過去の記憶の一部は、脳内に情報として記録されていて、その連続性はある程度が保たれているといえるでしょう。
しかし、注意したいのが、残っているのは情報だけ、しかも一部の情報だけということです。
3年前の何気ない日に通りすがったときに見た他人の服の色を思いだせる人は少ないでしょう。
一部の情報だけが連続していて、その他は生まれ変わり別人となっている私たちにとって、自我やアイデンティティといったものは不連続であり、今の自分や他人がしていることを話題にしたり、考えたりすることは、楽しいかもしれませんが、本質的には無駄なことなのです。
ここで、情報の連続性を自我の連続性と認めると、例えば映画を見たときに、主人公の記憶を情報として得ているので、その主人公と自分が自我として連続ということになってしまいます。
ドラマやアニメ、小説なども同じです。
他人の話を聞いただけでも、その他人と自分が、連続する自我ということになるのです。
それを自我の連続性として認めるならば、自分の記憶が連続している場合、自我が連続しているといえるのです。
しかし、やはりそんなものを自我と呼ぶ必要がないので、情報だけが連続であっても、自我は連続であるとはいえないのです。
ここからもわかるように、未来の不安を消すために何かをすることや、未来の見返りを求めてやりたくないことをすることも、かなり無駄と言えるでしょう。
少なくとも、数か月以上先の何かを期待して今から嫌なことをしたりするのは、数か月後の生まれかわった自分という名の他人のために、今ここにいる他人でない自分を犠牲にすることになります。
日本の社会構造で見えてくる、匿名SNSとの不適合
日本は古くから、村的実名保障集団です。
つまり、親せきや隣人などのネットワークを通じて、その人間が安全かどうかを確認しているのです。
「Aさんのせがれ」「Bさんの旦那」「隣に住むCさん」
などです。
幾重にも張り巡らされた人脈のネットワークにより確証された身元が明確な人々たちと、ともに何十年も過ごすという環境の中で日本語は進化してきました。
そんな日本語の特徴は、責任感や安全性を、自分にも他人にも強く求めるものになっていたとしても、不思議ではないでしょう。
日本人は、周りの人を良い人だと思い、自分をよく見せる文化で育ってきたということです。
婉曲表現の多さや敬語や丁寧語の存在は、そのことを表しているといえるでしょう。
そんな村的実名保障集団で育った日本人と日本語は、無意識の本音をさらすことにも、さらされることにも、不慣れといえるでしょう。
匿名SNSや匿名送受信可能なメディアは、日本人の無意識にとって、不健康です。
匿名メディアをできるだけ避け、世界はすばらしいと思いながら、自分に正直に、見返りを求めずにやりたいことだけをして生きる。
ピグマリオン世界観から言えることは、世界が残酷でひどい場所だと思えば、そのようになってしまいます。
なので、世界は素晴らしく、美しい場所だと思い、自分には何とも比べられない価値があり、明日が楽しみだと確信しながら生きることが健康的と言えます。
また、自我の不連続性から、見返りを求めた行動は、ほぼすべて無駄と言えます。
なので、今楽しくて、今やりたいことをするのが、健康的と言えます。
また、日本語の特徴から言えることは、匿名の文章や、だれが作ったのかわからない責任の所在が不明な動画、画像などは見ることをやめましょう。
以上が、現代を健康的にいきるための世界との付き合い方です。
この世界が、少しでもより良い場所になるように願います。