あなたの存在する確率はどれぐらいでしょうか。
私は今この記事を読んでいるから100%だ、ということではなくて、無からあなたが生まれて存在する可能性のことです。
しかも、今あなたがいるその場所、その状況で。
まず、あなたが生まれる確率を考えましょう。
あなたの父親の一度の射精により放出される精子の数は約3億個であり、この時点であなたの存在確率は、約300000000分の1ということになります。
次に、あなたの二人の両親を人類から選んでみると、1950年にはすでに人類の総人口は25億人であったので、あなたの両親二人から生まれた、あなたは、25億人いる内の2人の組み合わせから産まれたのでした。
この時点で、あなたの生まれる確率は、3億粒の米が入った箱を25億箱集めた内から、2粒を選ぶよりも少ないことになります。
既にあなたが生まれたことは、奇跡的と言えるでしょう。
さらに、あなたがその時代、その日、その時間、その場所で生まれた確率は、もっと低くなります。
次に、私たちの住むこの世界が生まれる確率を考えて見ましょう。
銀河や宇宙の始まりについては、確定したことを言うのは難しいので、ここからは少し別の視点で見てみます。
宇宙やこの世界の始まりを考えた時、何故、もしくはどうして、を考えた時、「宇宙にははじめもおわりもなく無限に続く」と考えるか、「宇宙は無から始まった」と考える二つの考え方があります。
最初宇宙に何かあったとしても、その何かはどこから生まれたのかと考えれば、無限に同じ質問が可能です。
つまり、無以外から宇宙から始まった場合は、はじめもおわりもなく無限に宇宙が続いています。
ビッグバン仮説が正しいとしても、何故ビッグバンが起こったのかを考えると、その前にも何かがあった、つまり無限に続く宇宙が存在していたか、何もなかった、つまり無があったかのどちらかとなります。
「宇宙にははじめもおわりもなく無限に続く」と考えてみると、あなたの存在は文字通り奇跡です。
何故なら現在の時間を考えるとあなたの存在確率は、無限分の1となり、0です。
あなたは存在することが不可能なのに、存在しているのですから、奇跡としか言えません。
もしくは、矛盾です。
存在自体矛盾しているので、何が起こっても不思議ではありません。
何故なら、あなたの存在する事自体が上記で見たように論理的には矛盾しているのですから、あなたに論理を超えた事が起こっても何も不思議ではありません。
次に「宇宙は無から始まった」と考えてみます。
何もない無があったとします。
何もないです。
宇宙はもちろん、時間も空間も何もかも存在しません。
ここから、何かが生じることなど、あり得るのでしょうか。
論理的には不可能です。
しかし、論理を超えて、確率を超えたところでは、何が起こるかわからないのです。
実際に、我々の宇宙は我々の目の前に広がっています。
これは、おかしいというよりも、この世界の本質がこのような我々自身には、少なくとも言葉では計り知れないおかしさで出来ているということでしょう。
このように、あなたの生きる宇宙と、あなた自身は、確率的には不可能で、論理的には矛盾しているので、存在する事自体が奇跡で不可能で不思議なわけです。
そんな世界で、人生で、あなたはどう生きるでしょうか。
あなたは何を悩んでいるでしょうか。
何に苦しむでしょうか。
何が不可能でしょうか。
もともとこの世界自体が矛盾で不可能で奇跡なのに。
あなたの存在自体が奇跡なのに。
本来存在する可能性のないあなたがいるということは、あなたには何か存在する意味があるという事でしょう。
その根拠は、上記で見てきました。
全世界、または全宇宙が、あなたの存在を求めているのです。
そして、同じような考え方で、この世に存在するすべてのものの存在が、矛盾で、不可能で、不思議です。
あなたの目の前に広がる全ての物事の存在が、論理を超えており、確率的に不可能で論理的に矛盾です。
そんな世界で、悩む必要はあるでしょうか。
あなたも、あなたを包む世界も、存在自体が論理や確率は超えているので、限界はありません。
可能性は無限大です。
そんな世界で、絶望する必要があるでしょうか。
こんな論理が成り立ってしまう世界、宇宙が、そしてその中であなたが存在しているということ自体が、いつもあなたの存在すべてを肯定しています。
あなたに存在して欲しいと、全宇宙が告げています。
無限の未来が、あなたを待ち受けています。